あれはまだ奥日光どころか日光市内でさえ冬だった頃。
薄氷が張り、身を切るような冷たさの水に一週間晒し
引き上げる。
車に積んで運ぶは、標高900m霧降高原。
一袋一袋、丁寧に。
天日と寒風に晒すように。
雨や夜露に濡れないように。
半月の間、繰り返し繰り返し。
美しく輝く蕎麦の実は、その間にアクが抜け、加えられるストレスによりアミノ酸組成が変化し旨み成分が増すのだそうだ。
こうして作り上げられたのが、
日光寒晒し蕎麦。
古くは、将軍家への献上品にも使われたのだそうな。
より詳しくは、米山そばHPへ。
湯元住まいの人間が、気ままに歩いた記録を主観≒100%で再び垂れ流しているブログ